【光永平蔵惟詳命・木倉太郎兵衛惟豪命】


 江戸末期の創建。江戸初期と江戸末期に郷土の水利事業に尽くした二人の義人を祀る。
 木倉太郎兵衛惟豪は、江戸初期の寛永・天和の頃、およそ四十四年間にわたり木倉郷の惣庄屋として水利事業に尽力。 木倉、御船、滝尾の各村に合計九ヶ所の用水井手を掘り、中でも五里のおよぶ元禄井手は大変な難工事で、 木倉太郎兵衛惟豪の偉業を記した「南田代村水瀦碑」が七滝村に建てられた。
 光永平蔵惟詳は、江戸末期の天保の頃、木倉郷の惣庄屋となり、三十年にわたって各種の公益事業に尽力。 農民の生活を苦しめた年貢の減免を官に嘆願し、水利の悪い川筋の堀替え、干田の地に用水を引き、 堤防を築いて溜池を作り、道を開き、橋を架けるなど、特に御船川水源の渓谷の水を集めて一つにし、 二十余か所のトンネルを掘る水利工事は七年の歳月を費やしたが、その後、当地方では大旱魃の時にも灌漑や飲用の水が不足する事はなかったという。
参考:「郷土を救った人びと―義人を祀る神社―」

 

引用元:http://www.genbu.net/tisiki/gijinkyusyu.htm?print=on