西岡神宮
西岡神宮(にしおかじんぐう)は、熊本県宇土市神馬町にある神社である。旧社格は郷社。
社伝によれば、和銅6年(713年)、元明天皇の勅願により宇土地域の総鎮護として中原(壇原)に創建された。はじめは春日大神と住吉大神の勧請であったが、承久3年(1048年)、関白藤原道隆により八幡宮を合わせて祀ったので三宮大明神と称することとなり、現在でも三宮さんの名で親しまれている[1][2]。
中世には菊池氏、宇土氏、名和氏ら代々の領主の尊崇を受けたが、天正16年(1588年)に小西行長の社殿焼き討ちにあい、神体はしばらく山中に隠し祀られた[3]。
慶長6年(1601年)、加藤清正により、現在の地に再興され、後の肥後熊本藩主・細川氏代々の崇拝、保護を受け現在に至る[4]。奈良時代に創建され、約1,300年の社歴を有する古社である。
引用:Wikipedia 2015/07/25
宇土城跡
宇土城(うとじょう)は、熊本県宇土市に存在した城郭である。別名、城山ともいう。同市神馬町にあった中世期の宇土城である、宇土古城についても併記する。
宇土城は小西行長によって宇土古城の東に位置する丘に築かれた平山城である。3重の天守などが建てられたが、小西行長が関ヶ原の戦いに敗れ、同時期に肥後国緑川以北と葦北郡を所領していた加藤清正が、宇土城攻略の功績によって小西領を併合して肥後一国の大守となり、宇土城を所有した。その宇土城の天守は清正によって熊本城へ移築され、宇土櫓となったという伝承があるが、1927年(昭和2年)に熊本城宇土櫓を解体修理した調査の際には移築の痕跡が見られず、城戸久などによって否定されている[1]。
寛永9年(1632年)の加藤氏改易によって細川領となった後は、宇土藩の藩庁である宇土陣屋が現在の新小路町に置かれ、跡地は荒蕪地とされた。
引用:Wikipedia 2015/07/25